ハイハイ=>前進
甥っ子のハイハイがついに、ちょっとずつではあるが、前に進むようになってきた。
いままでどう頑張っても後ろにずり下がるばかりだったのだが・・・。
しかし、それでもまだまだ自由に移動するには程遠いが・・・。
それにしても。
子供は日々確実に成長する。
おじさんも、負けてはいられない。
甥っ子のハイハイがついに、ちょっとずつではあるが、前に進むようになってきた。
いままでどう頑張っても後ろにずり下がるばかりだったのだが・・・。
しかし、それでもまだまだ自由に移動するには程遠いが・・・。
それにしても。
子供は日々確実に成長する。
おじさんも、負けてはいられない。
赤ん坊が夜泣きを覚えた。
最近めっきり眠りが浅く(?)夜中になんどもぐずる。
今もぐずった。
とりあえず、あやしてみるが、てんでダメ。
鳴き声を聞きつけて親父がやってきた。
親父があやすとあっという間に泣き止む・・・。
子供は正直だな。俺がおっかなびっくりあやしているのを敏感に感じ取っているのだろう。
早いもので、年が明けて丸二ヶ月が過ぎようとしている。
2月はもちろん短いのだが、それ以上に”短さ”を痛感する今日この頃。
やはり、年を取ると時間の流れが早く感じるのだ。
年度末ということで、しばし閑古鳥が飛んでいた職場も活気(?)を取り戻し、無駄にばたばたとしだした。
暇よりは忙しい方がまだいいが、あまり儲からないのに忙しいだけというのは気が滅入る。
どこも不景気。
だが、不景気だと思っていることが一番問題なんだろう。
なぜなら、それは原因を第三者に押し付けているから。
社会が、政治が、顧客が、会社が、上司が・・・。
「誰か」のせいにした時点で、すでに「逃げ」の姿勢に入っている。
「自分が」変えるのだ。上司も、会社も、顧客も、政治も、社会も。それぐらいの意識がないと、生き残っていけないのではないか。
会社と客先と自宅を往復するだけの営業マンが増えている。
不景気で給料も減り、寄り道して帰るような余裕はないのだから、仕方ないのかもしれない。
だが、遊びが無いと世界が広がらないのは事実だ。
会議室でいかに熱い議論を交わそうと、決して深い関係になることはない。相手から確かな信頼を得ることもできない。
それが、飲みに行ったり、ゴルフに行ったり、「遊ぶ」ことで、急に親密になる。
そういった「番外戦術」が必須の職業が営業マンだが、最近は身の回りにそれができる人がいない。
今時そんなのは必要ないということなんですかね?
自分はよくタクシーに乗る。
すると、まわりからは贅沢だと言われる。
自分の感覚からすると、貴重な時間を移動に割かれる方が痛いのだが・・・。
それはさておき、先日タクシーの運転手と、タイトルにあるような合理主義の話になった。何もかもを合理化し、無駄を省き、ギリギリまで詰めてしまっては、逆に面白みもなにも無いのではないか。
多少の遊びがあるからこそ人間であって、100%を目指したいのであれば機械でも構わないのだ。
不完全な中にこそ人間の魅力は詰まっているのだし、そういうアバウトなところからまた新たな発想が生まれてきたりもする。
無駄を省くのは結構。だが、人間らしさまで省いてしまっては、味気ないのではないだろうか。
あまり褒められたことではないが、自分はよくイライラして人に当たる。
自身の短所だとは認識しているが、なかなか直せない。
そもそも、”当たられる”側にも、それなりの問題はある。得てして優柔不断で決断力がなく、手際が悪くていちいち人に世話を焼かせる。そういうタイプの人間を見ていると、ついイラっとしてしまうのだ。
元来、自分は面倒見の良いタイプではなく、誰とでもうまくやろうという気もない。協調性が足りないのは自他ともに認めるところだが、短所でありつつも自分の長所であり、個性でもあると勝手に解釈しているので、半分は良しとしている。
そのかわり、自身に対してもストイックでなければならないと思っている。
他人に厳しく自分に甘い人間にだけはなりたくない。
妹が失踪した。
これでもう何度目だろうか。
入院先の病院から、わずかな隙に姿を消した。
しんしんと雪の降る真冬の街に、上着も着ずに、だ。
正直、もうどうしていいかわからない。
人を応援するとき、よく「頑張れ」と声をかける。
が、これはとても酷な言葉だ。
オリンピック代表に選ばれるような選手達が、頑張っていないはずがない。
頑張って、頑張ってつかんだ切符のはずだ。
その人の努力を知る由も無い自分が、ただ「頑張れ」というのは、非常に無責任な気がする。
でも、だからといって他にかける言葉が見つからない。
メダルを期待された選手が、そこに手が届かずに終わる。
頑張れとだけ無責任に叫んだ大衆は、落胆の色を隠そうともしない。
長く厳しい練習の末、葛藤と闘いながら、選手達は競技をおこなっている。
ちょっとだけ、オリンピックを見るのが辛い。
昔から、意義のない飲み会が嫌いだ。
暇人の時間つぶし的なものに付き合わされるくらいなら、早く帰ってもっと有意義な時間を過ごしたい。
別に、飲むことが嫌いというのではない。
酒は、語らいを盛り上げるためのおかずに過ぎない。本当の目的は意義のある語らいにこそある。
ただ酔っ払って騒いで、それでよしというのは馬鹿のやること。時間とお金を使っているのだから、どんな形でもいいから意義のあるものにしなければならない。
日頃あまり話さない人と親交を深めてみるでもいいし、互いによく知った間柄でより踏み込んだ話をするでもいいし。
なぜ、こんなことを書くのかというと、今日も会社の飲み会があったからだ。
できる会社の飲み会は、意義のある成果を生む。出来の悪い会社の飲み会は、無駄な出費と二日酔いだけを残す。
今日の飲み会が有意義だったかどうかは、あまり触れたくない・・・。
今、甥っ子を寝かしつけてきました。
動きが緩慢になって、あくびをしたり、目をこすりはじめたらもう眠いという合図なので、寝かすようにしてます。
眠いときの赤ん坊はけっこうぐずります。ぐずりますが、もう眠気はそこまできているはずなので、あと一歩。
そんなときは”ビート”を刻むようにしてます。
やさしく肩などを、一定のリズムで叩いてあげます。動物は心臓のリズムを聞くと安心するそうですが、赤ちゃんも一緒なのでしょう。